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人生は過ちと失敗の連続であり、そして失敗から人は何かを学んでいくものです。 成功したときには、その成功に対して「なぜ、成功したのか」とは、あまり深く考えないものですが、失敗したときには、「なぜ、失敗したのか」ということを深く追及します。 しかし、なかには失敗体験を生かせない人が多いのも事実で、それは失敗を認めたがらないのが原因になっているからです。 「あの大規模プロジェクトを計画して、予算化する手前まできたものだな。もともと、こんな大きな仕事を手がけたこともないし、できるスタッフも揃っていなかったのだから、よく健闘したと思うよ。他の人なら、もっと早くあきらめていたかもしれないね」 「もし、予算かできていたとしても、今のままでは、人材不足でもっと大きな問題が発生していたかもしれないよ」 予算化できなかったのは、自分の能力や努力が足りなかったのではなく、会社の組織の中に、大規模プロジェクトを推進するだけの経験者やスタッフがいなかったことが問題であると主張しているのです。 そして、いろいろな悪条件の中で、よく頑張ったものだと自画自賛しています。 また、明らかに失敗したのに、そのことが逆に良い結果を招いたかもしれないと主張しており、予算化できなかったというマイナスの現実を、むしろよかったものとして無理やり説明しようとします。 心理学のなかに、人間には、自分が正しい、自分には、一貫性があると思いたいという欲求があることが知られており、これを「甘いレモンの理論」と言うそうです。 これについては、どんなレモンが酸っぱかろうと、自分のものは、甘いと思い込もうとするというものです。 上の例のように、たとえ失敗しても自画自賛するような人は、エリート意識の強い人に多いようです。自分が負けたことは、屁理屈をこねてでも絶対に認めないというわけです。 もちろん、本人の心の奥底では、自分の実力や能力の不足に気がついていたとしても、認めません。 「あれは熟慮している時間がなかって、会社命令でやったことだ」とか「業務命令であったのに、プロジェクトチームも編成してくれなかった」「運がなかっただけだ」などと、どこまでも強気を貫き、失敗の原因を自ら認めようとしないのです。 |
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