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人は自分の弱みや欠点などを積極的に披露すると、披露された相手は、その人に悪感情を抱かず、好意的に受け入れてしまうところがあるようです。 だれだって、自分の恥になるようなことは他人に言いたくないものですが、それをあえて相手に話すというのは、すでに相手を信頼していかにも友だち関係になっているかのように錯覚させる働きがあるのです。 ですから、話されたほうは、「こんなプライベートなことまで話してくれて」と思い、親しみを感じてしまうのです。 要は心理学でいいますパーソナル・スペースの精神的距離を一気に縮めてしまったということです。これをテクニックとして使う人は、人たらしの極意を知っている人ですから、調子を合わせるのもほどほどにしておくことです。 会って間もないというのに、自分の恥を聞かせたり、醜態を意図的に見せて、相手を油断させているのです。そればかりか、味方に引き入れてしまおうと考えているのです。 よく落語家などがテレビに出演したとき、本題に入る前の口上として、お客をひきつけるために、このテクニックを使ったりしていますね。 たとえば、いまは亡きお笑い界のある大物は、ある人とはじめてあった時に、いきなり「ボクの母親は売春やどのおかみだった」といったといいます。 ほんとうはそうではなかったらしいが、ここでは真偽を問題にしているわけではありません。 ふつうの人の感覚では、母親が売春宿のおかみだったことは、積極的に口外しないはず。 ところがそのお笑い芸人は、それを積極的にさらして、人と人との付き合い、やり取りの主導権を握ろうとしたようです。 サラリーマンの人なら、新しい部署の責任者になったときなどは、就任のあいさつで「私は○○が苦手なので、みなさんの力を借りることになります」と頭を下げるなども、このテクニックのひとつです。 これだけで、戦々恐々としていた部下たちの緊張感や敵対心は失せてしまうでしょう。 恥や醜態をさらされると、その人のことをどうしても軽く見がちになりますが、それは戦略かもしれないと考えておきましょう。 |
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